午後

日記

ぴえん質問サービス

ヤ□ー知恵袋等のサービスを使ってきたよ。

私がフルボッコにされたって怒って反省しているよ。

 

質問「〜。どうしらいいですか」

質問「(私はすごいと言ってほしそうな文章とエピソード)。悩んでいます。助力お願いします。」

回答「〜すればいいんじゃないですか」

回答「あなたがいけないんじゃないですか」

回答「やりたくないんならやらなきゃいいのでは?」

回答「哲学しましょう」

 

ち、が、う!!!!ああ!!なんて者を見てしまったんだ!!腹立たしい!!!他人に憧れて、自分もやってみようだなんて質問なんかするんじゃなかった!!!なんも知らないからあったり前のこといいやがって!!!ふ・ざ・け・ん・な‪💢

 

オブラート無しの率直な回答。傷つく。言っていることはごもっとも。おっしゃる通り。「それができないから質問しているんだよ」と茶番したくなる。その怒りが至極重要。

ねえ図星だね?思いつかなかったよね?ざまあみろ。私は私がざまぁを見て嬉しく思う。くたばれって思った。人の不幸は蜜の味。不幸じゃないよ。自業自得なんだけど。自分が自分だから、めちゃくちゃニヤニヤ喜んでいるよ。面白くて仕方がない。不謹慎だなあ。

 

私はバカでした。反省しました。某有名人の質問回答の切り抜きを見れば察せるだろう。ネットは知見を収集することに長け、深い知識を得たいのなら本をよめばいい。知っていたけどね、体験が伴わないから無視してウキウキ質問しに行ったんだよ。腹立たしい回答。1割好奇心の喜び、9割ムカムカ精神かな。3度目に質問サービスを使うことになったら、前ほどウキウキはしないだろう。ろくな回答が帰ってこない。でも嬉しいよ。このクソ下手くそな質問読んで、回答して下さった。2分は必要だったよね?恐れ入る。嬉しいです。

 

  私の質問がしょーもないからだ。どう答えて欲しいのかマッタクモッテ意図不明な質問だからね。質問する才能が無いんだよ。質問したいことなんて無い。目の前のキミに聞くより、ネットで情報収集すれば、おのずと悩みなんて雲散霧消するからね。キミの1つの意見よりネットの100の意見を得て好きなように解釈する方が楽しいからね。悩みがないんじゃない。悩みを持って目の前のキミに相談するとろくでもないことしかほざかないから相談しないし悩みだって持たないし適当に情報収集して悩みを消化するんだよ。悩みを抱いただなんて思ってはいけない。人間がほざいてしまう。だからね、悩みなんか無いよ。

 

身をもって知った。知見を得るのにインターネットはとてもいい。思いつかない視点で、突かれたんだ。痛いなあ。背中から刺されちゃった。目は役に立たないなあ。その通り。敗北だよ。白旗。やってよかったよ。もうやらない。やるとすればyes/noだ。カウンセラーじゃないんだ。それか、ハッピーになり過ぎて戒めが欲しくなった時だね。ナルシスト文を投稿すると、嬉々として叩いてくれるよ。うーんすり減る自己肯定感。現実を思い知るいい機会だけど適量に調整しようね。

 

そんな質問下手バカのためにAIがある。質問した内容をAIに読ませた。傷つけない範囲で、なかなか気分いいことを提案してくれる。人間ほど傷ついて、腹立たしいことは言ってこないが、見ていると癒される。気に入らないんだ。共感も、至極もっともなオブラート無しの意見も。怒り出すんだ。

 

「それができないから質問しているんだよ」それは、相手がいないと生えてこなかった意見だ。そこだ。なんでできないの?理論上できるよね?なんで怒ってんの?プライドあったんだね。新発見だよ。ムカつくけど感謝をする。防衛しているんだね。それをやったら、確実に傷つくであろう、実りより痛みが勝るって、直感しているから避けているんだね?この考察も、質問して、ネットの誰かしらが回答してくれないと生やせなかった。種が育った。

 

惨めな人間だな。私の自信は虚飾だってことが、後々考察して私によって暴かれてしまった。つらいぞ。こんなの見たくなかったぞ。ネットの人が提案をする。拒絶反応が起きる。ああよく分かった。今まで私は嫌なことから目を背けてきたから自信が作り上げられたんだ。偽物である。からっぽで、うつろで、使い物にならない。質問やめよう。できるだけこのブログ書く週間もどきも辞めたいんだ。ショーもないからね。キラキラもわくわくもしないからね。読めたものでは無いからね。金にならない上、その元気をアルバイトすることに使えwwと、私の仲のネット民が正論教えてくれるからね。こんなしょーもないことやめてアルバイトしなよ。

 

私のような人間は質問するべきではない。私はめんどくさい性格をしている。私のしょーもない悩みのようなものはカウンセラーが適している。私が頑張るべきことは文章でも質問の才能不足に嘆くことでもない。なんでも話せる人間を見つけて、大切にすることだ。それに全力をつくせば、アルバイトだって楽しく出来るじゃないか。ほら、悩みなんかないだろう?

 

オブラート無し意見の方が刺激的で私の思考は好きだけど、私の感情は「哲学しましょう」回答の方が好むな。生産性も知見も薄いけど。癒された。感情を優先しましょうか。私にはそういった傾向があるみたいだね。

記録 初診

背伸びして、デパートにいく感覚。すこしドキドキするな。憧れてたんだ。はじめてだから、変な動きして目立たなければいいな。

 

順調。「悩み事は?」と聞かれた時、困ったけど、口が勝手に動いた。反射神経が答えてくれた。これは本当の悩みじゃないよ。探索のパラドックス。探索するものを知っていれば、探索する必要が無い。探索するものを知らなければ、探索しようがない。口をついて出た言葉は、嘘だよ。よく見抜いてくれた。初診にも関わらず悩み事に一見関係無さそうな薬を処方してくれた。後日ネットで調べたら、私の求めているであろう薬だった。裏を、行間を、読んでくれる人は3人目かも。そのセンセイの事が気に入った。直感だから、外れるかもだけど。私に頭を使ってくれる人は気に入るよ。3名、種類が違う。

 

一応無意識か変な部分を出さないようにしているから、病院で元気いっぱい話せたよ。大量に面接対策よろしく資料書いておいてよかったな。徒労に終わったけど。敵対のために書いていたけど、今度は自己紹介の為に使おうか。ふふ、楽しみ。結果、私が異常であろうが正常であろうがどっちでもいいんだ。やってみたかったことを1つ潰した。常に頭にチラついてイライラしていたんだ。センセイは勇気って言っていたけど、私は暇つぶしとして、趣味として、遊びに来たんだ。「やめてくれ!」って怒られるかな?お前みたいなファッションメンヘラが来ていい場所じゃない!帰れ!って思案するかな?いいんだ。目的は達した。

 

木の絵を描くテストをした。

専門家気取りで精神分析をしようか。後日返答される専門家の意見と照合して、丸をつけようね。気になって後日調べたよ。ネットで聞きかじった信憑性不明情報だから。結果を書くかどうかは、私の随意に任せるよ。

 

根っこ=無意識  うえにいくつれ、年齢上昇。20を半分で割ったら10。全体のイメージで判断するらしい。根っこが細かく描写されていれば、自分の本能をよく知っているという解釈もなされるらしい。逆なら、性の否定。びびっているらしいという解釈がある。以下、私の描いた木の精神分析

 

・紙を横にしている

現状に不満を持っている

・視点、上に見上げている

謙虚。身の程をわきまえている

・木が中心に置かれている

精神が安定している。

・木の幹がかなり太い

自信がある。とても。

・木の枝が放射状になっている

好奇心旺盛。注意力散漫。

・木の洞がある

身体的虐待の疑い。

・木の葉が無い

孤独を感じている。

・木の葉が舞っている

自意識過剰。

・木の根っこが浮き上がっている

自己を過剰に良く見せようとしている。

樹冠が無い

やりとげたいことがある。

・地面が黒く塗られている

私は半分黒く塗った。現状に満足は言っていない

家がある

・落ち着きたい場所が欲しいことのあらわれ。レアケースらしい(ネット情報)

 

筆圧は不明。パースがめちゃくちゃだったな。理論では地面はそこにないんだけど。家いっぱいあったよ。私は傍観しているに過ぎないから、家なのか、分からないけど。ホテルにも見えたかな。木の樹冠にあたるであろう部分が眩しくて、よく見えなかったからいい加減に描いた。その分、暗いなーって所はがじゃがじゃがじゃって黒くしておいた。この解釈は分からなかった。木の枝と根っこがはみ出していた。見えたもの描いたんだ。ドキドキするな。全く同じ分析なんてありえないだろう。わくわくする。調べちゃいけないんだけど。中途半端に知識を持つ素人のタチの悪さ。独断で薬を辞めようとする愚かさ。でも、辞められないよね。丸つけしたかったの。元々知ってたよ。このテストのこと。詳しい分析も、知ってた。小説に出てきた。その知識も入っているから、奇を衒おうとしている魂胆バレちゃったかな。でもこれが見えた木なんだ。これ以外の木を書いてって言われたら、かなりの抵抗を伴うかな。私の木。なんかしっくりくるように描いたよ。つまらない結果で、私をがっかりさせないでよね。いや、それならそれでいいんだよ。がっかりするなら、明確に、ハッキリと、がっかりしたいの。この専門家気取り分析に劣らない良い知見を得られる分析の返却を期待している。わーくわく。

雑駁、話が通じるとは……

自称一人っ子だよ。気づいたら私は蚊帳の外に居た。会話が通じた記憶が思い出せない。何故だ?ふん、寂しいね。どちらが蚊帳の外なんだろうね?ミクロよりマクロの方がいい?本当に?マクロを知れば逃げ道はとても狭くなる。逃げることが難しくなる。嫌なことからは逃げていいんだ。

 

自他ともに。私は「話が噛み合わない」よく言われる。他人の言っていることはよく分からない。そんな言の葉よりも自身の言の葉の方がよく見えるからだ。直ぐに枯れてしまう葉っぱを拾って自身の葉を腐らせるくらいならと、開き直っている。私の葉が実はこの上なく脆弱で育てる価値のない生き物だといつか判然したとしよう。それならそれでいい。自身の葉なんて素晴らしいものではない。それを知っていながらも、他人の葉を拾う余裕は無い。せめて聞くふりくらい1人前になるか二流になるか、できないだろうか?二兎追うものは一兎も得ず。このような優柔不断が、自身を信じきれないことが、自他ともに信じられないことなのだろうか?自身を信じきっている愚か者がいた。他人の言葉ばかりに踊らされる愚か者がいた。何を信じろと?信じない方が健全だ。そうだ、yes/noに汲々とこだわることが狭量なんだ。適当に主語を拡大しよう。ダブルバインド。人間は何したって私の内で「no」になる。人間嫌いなんだ。当然。主語がデカすぎる?主語を適した大きさにするとする。裏切られるリスクは恐ろしい。主語を拡大しておいてバーナム効果程度に広げておこう。適当な主語な大きさにしたってイレギュラーが毎日降ってくる。避けよう。イレギュラーは3ヶ月に1回くらいにしてくれ。

 

合わせるふりlv.1「そうだねえ」「すごい!」

私は実のこと話を聞いていない。自分の世界にひきこもって雲を眺めている。議論になった瞬間、一瞬で枯れ果てる。lv.1に頼っているから、声のうにゃうにゃでそれっぽく虚飾に繕っているんだよ。似たような人種を沢山見た。はにわみたいだ。 

 

なんでもかんでも無意識で「自分は絶対」だと思っているんだ。だから人のアドバイスを無視する傾向があるんだ。気に入らないから無視しているんじゃない。自分という存在をとても大切に扱っているから、部分部分他人がおざなりになっているんだ。家、プリンで喧嘩をしたことが無い。黙っていればプリンが来る。6話せば4はおろか13にしてくれる。自分の意見をそんなに言わずに、甘やかされて育ってきたんだ。他人と喧嘩しちょうどいい塩梅に、ヤマアラシのジレンマを丁重な距離を保つために、訓練を積んでいないのだ。そんな訓練始めるなら初めから心臓突き刺したほうが早い。まどろっこしい。

 

噛み合うってなんだ?がぶがぶ。上に書いたヤマアラシのジレンマの適宜策?なんで仲のいい人間全員にがぶがぶして適当な距離を?私は訓練を積んでいない。がぶがぶしたくない。声を荒げるだなんてめんどくさいこと。平和的に解決したいかな。プリンだってもうそんなに欲しくない。今まで黙って出され続けて贅沢にも感謝の心が薄くなっているんだ。なんて贅沢なんだ。めちゃくちゃ構ってもらえる。お姫様だ。恐悦至極。こんなことを知ってるから、その辺の人と一から関係を作るとなると私の甘々な骨をバキッと折る覚悟がいる。こんなふうに育ってないんだ。粗野な環境で鍛え上げられた軍兵なんだ。私は怠惰な甘々空間で堕落しきったお姫様。

 

軍兵の呆れた顔。それだけで私の甘々な骨がバキッと折れている。外見は綺麗だ。骨じゃないのかも。今記憶を探ってきた。ギプスはめた覚えも私の主観には存在していない。アメーバなのかも。ついに嫌になって引きこもった。そうだ、人と喋らなきゃいいじゃないか。なんて楽しいんだ。私は怠惰なお姫様に逆戻り。副作用で更に傲慢になったよ。主観が入っているから信憑性は保証できないけれど、自信もプライドも人格もズタズタになったよ。たいそう甘やかされたみたいだね。

 

  そろそろ折に行かないと。自信過剰になってきた。人格はズタズタで副作用でかなりひどいことになってしまったが甘やかされた罰としておこう。根拠の無い自信なら引きこもっていたら生えてきた。プライドはよく分からない。土下座すればいいのなら土下座をしてみよう。こうやって自分の考えていることを言語化できるという社会上では役に立たないけれど自身では重要なスキルが身についたからね。文章を書く。通用には程遠いだろうが。うーん4ヶ月で身についたことがこれ。

 

   不足はある。もっと効率的にマトモに使えるようにならないだろうか。軍兵のアドバイスは聞き入れ難い。4ヶ月ね。真面目にアルバイト通えば32万くらい頂けるのだけれど。勿体ないなあ。けれど本っ当に甘々でボロボロ(主観)だから嫌で嫌で仕方がなかったんだ。客観的事実が出揃ったから病院に行ってきたよ。

 

人格ズタズタを直そうか。カウンセラーが嘘か誠か「自我が薄い、無い」と私に言っていた。その通り。親が恐怖でしかなくて胸は親で埋め尽くされていた。最近親が優しくなったような気がする。どうだろうか。あんなに自信満々に偏見していた精神病にと非常にセンシティブな態度を示している。悲しいな。バレちゃったのかな。私が人よりぐちゃぐちゃなこと。内面なんか除けないから主観になるけど。バレるの一番に避けたかったけど。私は何がしたいの?希薄な自我に問う。引きこもって半年。毎日問うた。全て晒そうとしなければ初対面の人曰く私はハキハキ話す素直な人らしい。

 

ねえ誰なの?何がしたいの?君はどう生きたい?君の今の願望は、強がりなんじゃないか?本当の願望は奥底に眠っているはずだ。半年でこうなら、もっと早くして。また副作用で人格とプライドと自信がボロボロになって、再起不能に近くなる前に、君というものを比較的に確立してくれないと。

君は口数が多い割に要領を得ない話し方をするから、他人が困っているじゃないか。考えていることを言語化して、上手い人に尊敬を覚えて、比較的スッキリと話せるようになったけど、理想では無い。もっと良くなる。

 

ほら。常に自分と会話ばかりしているんだ。使う言語が同じだから、話が早いよね。主観ではがっちゃんがっちゃん噛み合っているんだ。機会っぽく。‪✝︎システマティック‪✝︎に。がぶがぶしないんだ。だから人の話聞かないんだ。副作用として、他人の言語を読みとることに興味が失せているから。理解して欲しいな。その為に軍兵になりたいんだ。これ強がりかな?夢幻かな?いきなりは無理だから、ひとりで行動する事から始めようね。

日記

あらすじを調べずにいい加減に読んだ。この読み方は久方ぶりだ。精読とは逆の読み方。要点を掻い摘んで読む。午前に目が覚めた。足早に図書館へ向かう。

 

静かなる喧騒。居酒屋。いろんな声が行き交う。雑踏。渋谷。恐れから逃げるために、本に囲まれたかった。物言わぬ雑談。いっぱい喋ってくれる。相槌不要の雄弁な演説。つまらなかったら読み捨ててもいい。面白かったらチップを払わなくていい。

私は寂しくない。相手が顔色を伺ってこないから、私の顔にリソースをさかなくて良いのだ。表情を動かす。かなり、疲れるのだ。私が表情を意識的に動かすことは、誠実に話を聞いていないのだ。嫌になる。こういう顔をしないと、相手は不安がるのだ。しかし私がいかに真顔だろうが、本は役目を果たすのだ。聞いてもないのに、自分の知っている雑談を開陳するのだ。ねえ、

楽しい?半分ほど何を言っているのかわからないおじさんがいた。数字だらけで意味がわからなかった。ばかばかしくて、かわいそうになる話者もいた。頭が硬いから、柔らかい頭って最っ高だよね!!って必死に演説しているメガネかけたおじさんがいた。雑談雑談。たくさんの惹かれる雑談がある。私はその雑談を聞きたい。面白いかどうかは、話を聞いてから判別する。玉石混交。

世界を教えてよ。金剛不壊の美しさを見つけたい。もう見つけているのだろう。現実世界は反射神経が盛んだ。すぐに壊れてしまう。刹那的だ。そんな儚いものに縋れるほど、私は強くは無い。今日読んだ本は私の求めるものでは無い。知りたかったから食指を伸ばして読んだのだ。

 

1つ目の本はツッコミどころ満載で嘲笑った。あんまり、本から見受けられる著者のこと好きじゃないな。生きてる感じがしない。鼻につくような語り口だった。2.3個面白いこと言ってた。

 

2つ目の本は私のこのいい加減な読み方を推奨するような本だった。感銘を受けたのかな。いい加減に読むつもりだったけど、読み方が似ていた。本に対する価値観が似ていた。20個くらい共感したかな。その本に書いてあった。思ったこと書けばいい。授業中にノートを取らないで、私の話を聞いてくれって言うのは、正しい教えだと。そうだと思う。

3つ目の本は難解で飛ばした。分かればこの中で一番面白くなるのだろう。一番押し付けがましくなかった。

 

覚えていること

 

日本とアメリカ。アメリカから化学は輸入された。完璧な形。だから、完璧主義な傾向がある。アメリカ、後手修正。フッ軽。扉は軽い。「やってみてから直せばいいよ」「とりあえずやってみようか」日本、先手修正。扉は重い。腰が重い。

・文系は具体化に長ける 手続き緩い

・理系は抽象化に長ける 手続き厳密

 

理系は言う。「アインシュタインの方程式は美しい」宇宙の究極真理を解き明かせそうなワクワクが詰まっているからだ。彼らは抽象化されてシンプルであればどんなものにでも「美しい」と感動するのだ。「要するに」「つまり」彼らの癖だ。彼らは抽象化せざる負えないのだ。本質さえ抜き出せばそれでいい。彼らは知っている。何度も何度もトライエラーして、完璧なプログラムなど存在しないことを。致命的な部分を避ければよい。どうせ今の時代、完璧なものが出来たとして時代遅れになる。

 

過去、文系でも生きて行けた。優秀だった。これから理系が優勢なのはなぜ?エクセルに数式が必要だからだ。なぜロジック本が売れる?忘れた。納得いかなかった理由だった。

抽象化、幅広く応用が効く。森を見て木を見ず。具体化、応用ききづらい。木を見て森を見ず。どちらも差異は無い。

外部記憶装置としてインターネットを使う。

我々凡人は天才のことなどわからない。

 

私は本をあまり読んだことがない。本を見つめるのだ。家と外にある本は違う。5.6ページ論理を追う。まえがき後書きを読む。大体わかる。面白い部分だけ読めばいい。定期的に本を撮りたくなる。それは、精読したものと変わりは無い。なぜ1度手にした本を完読しなければならない?購入したのだろう?君の自由だ。興味が湧く。$¥*冊ざっくばらんに購入して、積ん読する。好きな時に読む。メモも、付箋も取らない。思ったこと書けばいい。頭の中になければ意味が無い。記憶が不確かな部分があれば調べればいい。

 

 

食事から目を背けている個人的雑記

食事は種類豊富だけれど飲み物に種類は少ない。分かりやすく流通していない。塩ラーメンと味噌ラーメンの味の違いは分かる。壁だ。アールグレイダージリンの違いなど誤差だ。階段だ。ラーメンに塩コショウをかけてもスパイスにしかならない。紅茶に砂糖を混ぜれば皆同じじゃないか。私は飲み物が好きで食べ物が得意じゃない。なぜ?過去を追想しよう。

 

物心ついた時から何かしらを飲んでいることが好きだった。「喉が渇いた」という言葉の意味を理解していなかった。今でも理解できない。

隙があれば喉が渇いたといってお茶やジュースを飲んでいた。なんだかいい気分になる。

 

起源

給食はおいしくなかった

   小学校。知らん食べ物が蠢いている。教師が野菜を食えと言う。給食を残すと目立つ。茶々を入れられる。親に「給食食べないからお腹空くんだよ」論破された。教師が定期的に開陳する。「お前らは幸福だ。給食を食べれることに感謝しろ」「心込めて作ってるんだよ残すなんて人でなし(冗談)」おっしゃる通りだから牛乳で知らん食べ物を流し込んで表向きいい感じにしておいた。

    周りを見た。お昼休みまで給食を食べている人間が白い目で見られている。怒られている時もあった。「おいしい」よりも「まずい」という意見の方が建設的で聞いていて面白かった。私の目には給食は淀んだものに写った。

    驚いたことに給食を楽しみにしている人間がいるらしい。給食のために登校している人間がいた。揚げパンあげたら喜ばれた。これからもあげようと思った。宇宙人だ。まるで理解ができなかった。興味深いから講座開いてよ。開陳してよ。拒否られた。話せるようなものでは無いらしい。

    以上のことから給食はまずいことがインプットされた。牛乳が無いとまずいので牛乳を合理的に好きになった。手の届く範囲にある飲み物が君だった。飲み物を飲み続けながら食べることが習慣になった。味覚を粗雑に扱った。家でインスタントラーメンを食べてた。給食と比べると美味しかったんじゃないかな。自発的に食べているから。煩わしい説教も比較もイレギュラーも存在しないし。

 

世の中の基準に納得いかなかった

    世の中の人間の味覚はなんて高尚なのだろうかと奇特だと驚愕した。修学旅行などでホテルや旅館で食事をする機会があった。レベルの高い給食だった。給食よりも知らん食べ物が蠢いている。毎日の給食でレベル上げをしていても完食はできなかった。知らん食べ物に妙な味が加算されているからだ。焼きそばパンを見つめる。焼きそばとパンを別々に売ってくれないかと思う。シンプルイズベスト。親や大人は言う「だしが利いている」「この魚活きがいい」「白米がおいしい」言えないじゃないか。「まっず。変な味。」って。子供だった。「金を払ってあげているのになんて言い草だ」「せっかく高い金払ってるのに残してるよ。いっつもお前メシ残すからなー。」「無理して食べなくていいよ。吐いちゃうし」私は味覚を呪った。ホテルや旅館について行くことに罪悪感を覚えた。

    他人の口から発する「おいしい」「ここの料亭は美味い」が呪文に聞こえた。よく聞かれる。「おいしい?」って。「オイシイ」と答えておくことにした。まずい。インスタントラーメンの方がおいしいって回答したら生意気だからだ。インスタントラーメンがおいしいんじゃない。苦痛がないからおいしい認定をしている。

食事そのものに嫌悪が沸いた。高尚な料理は水で流し込んでも押し寄せてくる妙な味。横隔膜が痙攣する。口の中に食事が戻ってくる。水で流し込む。完食できない。眉を顰める。閉口する。インスタントラーメンは義務になった。インスタントラーメンを食べなければ倒れるからだ。顔色が悪くなるらしいからだ。インスタントラーメンの味が煩わしくなった。食事を出されたくないと拒絶した。食事をするくらいなら食事を減らしていかにふらふらしながら生活すべきか、を考えた方が楽しい。開き直った。

 

食事めんどい

印象深い出来事があった。高級料理を食べる機会に恵まれた。

なんて料理だと主観が悲鳴をあげていた。「残せる」という自由が存在しないからだ。残したら、給食好きな人間に譲ることなく破棄されるからだ。給食好きな人間に救われていたんだ。飲み物で味覚を無かったことにして鼻をつまんで食べた。義務だったからだ。悔しかった。顔に態度に出したくなかったのに。力量不足。拷問だった。残した。

高級朝ごはんの直後に、知人の願いで高級洋食ランチを食べることになった。そんなに食べられない。参加したものは全員何かしらを残していた。「お口に合いませんでした……?」と従業員に悲しい顔をされた。食べなければ、破棄される。過去が蠢く。「せっかく高い金払ったのに」「勿体なかったね」「おいしかったね」「心込めて作ってるんだよ」最善は尽くした。デザートは夏休みの宿題を最終日に執り行う味がした。私は諦めた。同時期、インスタントラーメンをお湯を入れずにそのまま食べてみたことがある。意外と腹は満たされる。生命維持の為の努力だ。誰か開発してくれ。食事という概念はそろそろ盛者必衰の頃だとは思わないかね?「おなかいっぱいサプリメント!1日1粒で、3日は動ける!無味無臭!全30粒!10万円で発売中!」なんて健全なんだろう。私だってふらふらしたくてかまちょしてるんじゃない。

 

実験

声高に美味しいと評判の麺屋だった。そこでバイトしていた。とてもしごかれた。約3.4年前のことだ。たまたま張り紙を見つけたから応募した。1部の日付で働くとまかないとして1品食べることができた。雇用主の人間性は好ましくなかった。毎日のように覚えておきたくない言葉を吐かれ続けた。人格否定というやつだ。センターに駆け込んだら取り合ってくれそうな内容だ。半年でやめた。バックれた。まかない食事は食事に対して強制も説教も存在しなかったから、嫌な気分にはならなかった。「おいしい」ということにしておいた。インスタントラーメンと同じようなことだ。

バックれて数年が経つ。実験として再び同じ料理を食べた。何日か通ってみた。インスタントラーメンのように義務になってきた。安心。変なものは無い。イレギュラーも叱責も飛んでこない。果たして、これは「おいしい」なのだろうか?相も変わらず水で流し込んでいる。達成感と履き違えているのではないか?「苦痛に耐えるために、私はこれだけたくさんの水を飲み干しました!!」誇示ではないか?性格が歪んでいるんだ。達成感を覚える。水ガブガブ飲み干しつつ食事をすることが。無意識で計算する。「あと□□杯飲めば食べ終わるかな」目的を履き違えた。実験;「思い出補正のおいしい麺屋はおいしいのか?」結果;「水で達成感を得ることが楽しい」

 

食事観

今ではかつて小学生の頃好きで、ご褒美だったポテトやラーメンやおかしが20越えの今では義務に映る。昔と違って好きな時に好きなように食べれる自由。鳥が地面ではそんなに歩けないから飛べるように不自由があるから自由に羽ばたけるのさ。ご褒美で存分に味を知っている、食べ慣れたポテトやラーメンやおかしじゃないと、苦痛が生じる。イレギュラーで叱責が飛んでくるからだ。年齢を重ねるにつれ腰が重くなり新しいことに手を出せなくなる。

 

食事に嫌悪が芽生え出してから、顕著としてドリンクバーに励むようになった。常に何かしら飲み物を飲んでいないと落ち着かない。朝に水を飲むと気分爽快になるらしい。血の巡りが良くなるらしい。オカルトじみたピグマリオン効果でメンタルを調整させている。ジュースに飽きたら烏龍茶。お茶が渋く感じたらジュースに帰る。おいしい麺屋よりもファミレスのドリンクバーだ。花より団子。飴と鞭。私の人生で食事は私を痛めつけ飲み物は私を癒した。好きな時に飲めるから自宅よりも居心地が良い。麻薬のようだ。外出して自動販売機を見つけると倹約しているのについ買ってしまう。隣に飲み物がないと不安に駆られる。人生破滅の予兆だ。

 

なぜ飲み物が好き?

ここまで書けば簡単なことだ。押し付けられたことがないからだ。食事には会話が生まれる。飲み物は影に隠れる。「ここの烏龍茶がほんっとうにおいしくて、つい通ってしまうんだ」といった話は聞いたことがない。コーヒーやビールやワインとなれば話は違うのだろう。ドリンクバーに並ぶ勇者達は一番に輝くことが無い。添えられるもの。当たり前のことだから。メロンソーダを好む友達が多い。メロンソーダガチ勢は聞いたことがない。専門家として突き詰めている訳では無いからまずいもおいしいも存在しない。リラックスして話すことが出来る。食事ガチ勢は多すぎる。「おいしいよね!」「う、うん……(変な顔)」バレる。

 

リーズナブルじゃないか。ブランド物の服やソシャゲを存分に楽しむためには5桁の額が必要だがこちらのドリンクバーは3桁ですむ。1日200円として毎日通えば6000円。飽きる。1週間に1度程度でいい。今の所。飲み物中毒に溺れさえなければ。インターネットで炎上も起こさないじゃないか。安全だ。歴戦の、時代の洗礼を超えたドリンク達だ。全員殿堂入りしている。そこに比較などない。古き良きドリンク。王道人気のコーラ織田信長、コーラの応用メロンソーダ豊臣秀吉、安定のウーロン茶徳川家康。抱き枕のような安心感。私にとって食事は添え物だ。セットで頼めばドリンクバーが安くなる。うっ、経営戦略にハマった。ドリンクバーを拝みに行くのだよ。

 

食事から背けて飲み物に依存して流し込む。知人に「おいしいから」と善意で薦められる。私は物心ついた時から食事から目を背けて生きてきた。何もかも飲み物で流し込めば同じだと目を背け続けていた。そんなふうに生きてきたと告白するには親密度が足りない。そんなことは聞いていない。味を鑑賞しようなどと思いはしない。できないのだ。流し込めば善意を無下にしませんでしたと証明できるような気がしたから。命を頂く「いただきます」。それを苦痛に耐え兼ねて流し込むとびきりの冒涜背徳。食欲がわからない。食べること自体、逃げてしまいたい。受け入れられない。私は食事を善意で進められない。無条件に「おいしい」と信じたことなどない。食事を愛していないのだ。

 

今の状態が継続すれば、これからも食事を愛すことは無い。飲み物に逃げ、味を無下にする。よく訝しげな視線を送られる。「沢山飲むね」少なくとも私の食は世間の平均とズレている。無理くり探せば非常識こと私の常識が通用する世間を見つけることが出来るだろう。どうせ車輪の再発明だ。見つからない方がおかしい。逃げられないこともある。3大欲求に嫌われたら苦痛と結婚しなくてはならない。愛さなければならない。苦痛でも、付き合っていかねばならない。

 

食事は3大欲求で1番身近に楽しめる趣味だ。性欲。無い(強がり)。人間が必要。贅沢だ。睡眠欲。微妙(強がり)。眠気は有限だ。贅沢だ。よって不規則に食事をしている。得体の知れぬ渇望がそこにはある。腹が空いて食べるのではない。味を無下にし食べると「食べなくともいい」と安堵する。食事から逃げていればいずれ倒れるからだ。恐ろしい。倒れたら、そこまで食から逃げ続けたら自信になってしまう。1度倒れたら誰かしらに食事を強要されるだろう。想像上の机上の空論にすぎないが、食べたくないが胸を埋めつくしそうだ。はっきりと、客観的事実において「私は食事が好ましくないのだ!」と刻印されてしまうような気がしてならない。自信に変わる。もうそこまできたら戻れなくなる。人の話を聞かなくなる。どの言葉も異国語に聞こえてしまう。うにゃうにゃ言っている分かり合えない代物だと開き直る。

 

追記

食べる時は倒れることを恐れて、かき込む。満足する。周りにはインスタントラーメンや、ありふれた、食べ慣れた腐れ縁に囲まれる。食べ慣れない妙な味も嫌になる。

食べ慣れたトマトを1口。このかつて嫌いだったトマトがなければサラダは美味しくなるのに。顔に出なくなった。処世術が身についた。倒れそうになるまでしばらく食べないからガツガツと食べる。喉につまる。水を飲む。無意識の癖。そこに、水が無いと、怖い。

食事に飲み物があるのはおまじないだ。「こんな非道で酷い真似を許してくれるかね!?お命頂くのへったくれもない食べ方!でもそこに飲み物がある!許された!」特に飲み物が私を不快にさせた思い出がない。私の飲み物は神なのかもしれない。私の道徳観の無さに業を煮やしついに顕現なされたのかもしれない。飲み物依存の食事。まあ、オカルトだが、適当に神に感謝しておこう。水で吐き気の催すトマトを無理やり流し込み続けてトマトを真顔で食べれるようになって「これは、どれどれがどうでおいしいのか?」などと余裕が産まれたのだ。

 

本に書いてあった。「インスタントラーメンのようなものを食べると味蕾が鈍る」らしい。私は鈍っている。どんどん鈍くなっていくらしい。先日食べたことの無い料理に挑戦した。味がした。物凄い時間がかかった。味わないから高速で食べられるのだ。勘違いじゃなかったのか。味わうとは、こんなに嫌なものなのか、いや、ずっと目を背けていたから、恒常性が失われることに抵抗があるだけだ。

教訓 涙袋と冒険

結果  頭痛い。教訓を得た。

 

動機・やったこと

今更だが、地雷系メイクやイラストが流行っている。強調された涙袋が「ナメクジみたい」と1部に揶揄されている。同調した。

 

美容に熱心な知り合いが居た。涙袋があった。おめめパッチリで私は憧れた。私はイラストを描く趣味がある。目の下の描写に悩んでいた。あんなによく見るイラストのように涙袋はカチンコチンなのだろうか?線ができる程主張が激しいのか?第3の目みたいになるのか?と疑問を晴らすために、目のマッサージをすることにした。ネットで聞きかじった知識によると、反時計回りに人差し指を滑らせる。眼窩の窪みを親指で刺激するとのこと。1日それっぽくなれば問題解決だった。涙袋の実感が欲しかった。

 

ぐーりぐりぐりぐりぐり。「眼窩の窪みを普段使われづらい血管を刺激することによってリンパの流れを良くする」みたいなことが書いてあった。多少痛いくらいが丁度良いとも。指を離した瞬間目元がジンワリ暖かくなる事を感じれば良いと。気持ちよかった。人差し指を滑らせたら、目頭のたるみが軽くなったような気がした。親指で強く刺激すれば、次の日すごくいいことがあるんじゃないかと感じた。はやる気持ちも手伝って夢中になった。

 

頭痛い。涙袋が生えた。うう、痛い…………目が痛い。刺激しすぎた。分かっていた。やり過ぎだと。焦っていた。無理をすれば1日で涙袋もどきを生やせるだろうと。当然の報いだ。目元をいじくりすぎただけだろうと高をくくっていた。外食をした。ピークはやって来た。空間が歪む。茫然自失する。宇宙と交信、インフルエンザの時見る夢、浮遊感。必死に起きていた。気分が悪いことを全面に出すと吐いてしまいそうだったから。倒れたら誰が世話するんだ。気づいたら体調不良になるんだ。その不良は主観だととてつもない。膝を着いてしまいたくなる。誰が世話するんだ。声掛けられるじゃないか。返事できない。今日1日お風呂に入ることが出来なかった。下手に入ると長引く。風邪をひいてお風呂に入ったら逆効果らしい。歯磨きだけして明日シャワーを浴びよう。

 

シンボルグラウンディング問題

写真上では大した変化は無かった。目の下がたるんでいたのだろう。目尻から2ミリ当たりに膨らみを見つけた。緩やかな緩急が気持ち良い。繊細だ。意外と柔らかい。ぷにぷにぷに。マシュマロのような質感。鼻先が上をむくように鏡に映ってみた。膨らみは見当たらない。変わらない。触る。確かに、ある。昨日なかったものが、そこに。これが涙袋か。思っていたのと、違う。涙袋は別名「ホルモンタンク」と呼ばれるらしい。てっきり、眼球の空いていない部分が涙袋となり皮膚がブラジャーとなって隠れて、ぷくっと固く主張しているのだと勘違いしていた。実感を得た。繊細だ。優しく扱ってあげなければ。

 

恐れ

体調不良は突然にやってくる。体調不良は余裕を奪い去る。普段妄想空想をしている。引き戻される。つらい。逃げ場所が無い。普段生きている世界と異なるから。ぐわんぐわん。気持ち悪い。無意識が作り出す妄想空想が停滞する。体調不良の訴えが主張してくる。たぶん、普段元気はあるけれど1度気分が悪くなると人より極端に体調不良を感じやすい体質なのだろう。頭痛い日もある。平気だ。じりじりじりと奥の方で鳴っているだけだ。無視すればいい。この体調不良はもうだめだ。余裕も無い。何をしでかすかわかったものじゃない。恐れる。人がいる前でこうなったら申し訳ない。反応すること自体がつらいんだ。ほおっておいてほしい。そして、哀れむ目もむけないでほしい。たまたま誰も居ず、自分の都合で引き寄せた体調不良。やってみなければ分からなかった。好奇心だった。好奇心は満たされた。これからもこんなことは起こるだろう。あまり人と会うことは得意じゃない。自分本位で、自己中心的だから、好奇心が優先されてしまう。そこに好奇心があったら、そちらへ向かってしまう性格なんだ。ある日唐突に体が限界を迎えるんだ。あんまり現実世界に焦点を置くことは性格上好ましくないんだ。

 

収穫があった。涙袋は、柔らかい。私は目の下がたるんでいた。目を刺激すると頭痛に繋がる。私の顔に涙袋という概念が確かに存在したことの確認。違和感がそこにあった。目先の好奇心に踊らされ結果をはやる性格。対価としてとんでもない頭痛がやって来た。やってよかった。薦めないけどね。実感が伴うと大いに世界が変わる。あのナメクジはこんなに柔らかいのか。そうだよな。ナメクジってシオカラみたいにぷにぷにしていそうだし。写真上だとカッチンコッチンに見えるだけか。見た目だけの評価は楽でいいがそれが全てだと思わないことだ。

 

追記  おまじない程度にマッサージをしておいた。指で目元をなぞるだけの簡単な。1日で涙袋を見つけることが出来たんだ。継続したらどうなるんだろう。もう、はやることはない。もっと綺麗な涙袋を自身に見出すのだろうか。見ものだな。頭が痛くなったからと言ってやめてしまうのはもったいない。自分のせいだ。マッサージ自体に罪は無い。飽きるまでおまじない程度に雑に涙袋を愛そうと思う。

不謹慎アプリゲームプレイ随筆

某悪魔執事ゲームプレイ記録。黒い猫も出てくる、人気癒しゲーム。

ファンの方はブラウザバック推奨。

 

このゲームは類を見ない良質なタップゲー。

AIさんの要約

某悪魔執事ゲームは、黒い猫も登場する人気癒しゲームで、ファンはブラウザバックを推奨される。このゲームは、類を見ない良質なタップゲームで、初めはメンタル療養を期待していたが、会話パターンが決まっており、1週間続けると担当執事の言いたいことが予測できる。執事達は大人の慇懃と子供の無邪気さを足したようなキャラクターで、タップゲームは簡単で無限ループが可能。アプリ起動時の執事との会話経験値は入らない。このゲームは金のかからない暇つぶしに最適で、広告も条件次第で流れない。プレイすることで眠気覚ましや脳のボケ防止にもなり、知的な要素も含まれている。振り返って初心に戻り、自身の行動に疑問を持つこともあり、執事達の天然な言動に笑いを見出す一方、複雑な心境も抱く。全体としては、楽しめるが不謹慎な要素も含まれる。

 

 

 

出会い

始めの内はメンタル療養を期待していました。宝石みたいなグラフィック。優しい言葉。女児心くすぐる設定。放置ゲー。なんだろう、なんだか物足りない。会話が決められたパターン、感覚で50種類ほどでしょうか。そのため1週間ほど続けていると1行目で担当執事の言いたいことが分かってします。ヤマアラシのジレンマ回避、情緒的引きこもり。冷たく優しい表層的な関係性まるでエスパーです。失われると自分たちの仕事に支障をきたすから衝突を避ける為に優しい言葉で距離を取る。以下は意訳です。私が曲解しています。

「今日のご機嫌はいかがですか?(良い)(良くない)」

「今日、夢を見ました。遠い地で主様と暮らすのです。」

「ここから逃げて遠い地で暮らしませんか?」

「主様。素敵です。こんなに美しい主様と居られて、私は幸せです」

「ネガティブなこと言ってごめんなさい。でも、言いたいこと言えてスッキリしました。主様は周りを明るくしてくれます。さすがです。」

「手紙が届きました。○○家からです。ネガティブな内容が書いてありました。仕方の無いことですけど。」

「今日も仕事に行けてほんとうに偉い」

 

私の歪んだ精神

なんだろう、大人の慇懃と子供の無邪気さを足したような執事達だ。挙げたこれらは1日1回は提案されました。30分しかプレイしていないにも関わらず出た偉大なるパターンです。不慣れだ、必死に人間様主様のご機嫌取りをしている様子がかわいらしい。担当執事という名称相まって始めたてのホストのようだ。全く響かない言葉の羅列。私のメンタルが持ちませんでした。私は仕事をしていません。顔について触れられると真顔になります。謝るくらいなら始めから謹慎しろよ始めての主じゃない、経験積んだ執事でしょって何様感覚で突っ込みたくなります。設定次第で無職設定にも変更可能なのかもしれません。ですがそれ以外にもマシュマロ言葉に包まれた私だけに適した毒をまいにちぽんぽん召し上がれと食わせられる。私は主様という名前だけの威を借りた存在なのです、感謝、メンタル、ブレイク「えらい」「すごい」「主様、好き素敵です」羅列羅列羅列立て板に水。そこで、別の方法で癒される方法を見つけました。

 

タップゲーム

このゲームは良質なタップゲームであった。

やり方は簡単、執事の会話回数が0になるまで会話→担当執事変更。会話回数0になると10分間会話不可能になる為6人ほど変更して時間を稼ぐ。無限ループできる。

作業するかたわら、お供に置いておくとちょうどいい。選択肢の位置が変わるトリックにさえ気をつけておけば楽しく無限に無料で遊べる。この遊び方において、「無料版はここまで、課金すればもっとプレイしやすくなるよ」という要素は皆無。イベランのかたわら、ロード時間に生じる虚無を会話することで引き取ってもらう。会話会話会話。ロード、会話、リザルト、会話。大丈夫ですか?執事様方がたの文書を拝見することができないのですが、猛スピードでお話しているはずです。「好き好き大好き」これは癒しです。イベランをしている最中、ロード時間。行きどころのない手の貧乏ゆすりをこのアプリに捧げる。効率的。選択肢で違う位置をタップしなければならないのはスパイスだ。眠気覚ましにちょうどいい刺激だ。適度な集中を保てる。選択肢を間違えれば散歩や瞑想ストレッチに時間を奪われる緊張感。お知らせ画面などに飛んでしまうためずっと選択肢が生じる部分だけタップすることもできない。メインアプリでのイベランの補助。眠気覚まし。脳のボケ防止。

 

アプリ起動、執事nowの次に流れてくる担当執事との会話経験値は入りません。勘違いしていました。1年もプレイしているのに寂しかったんです。1年が経つのに「主様は屋敷に来たばかり」「あまり顔をあわせたことがないから緊張するな…(毎日同じこと言ってる)」

 

楽しい

金のかからない暇つぶし最適ゲーム。広告も流れない現代の神ゲー

経験値制限がありません。時間制限もありません。広告もこの遊び方だけだったら必要ありません。最高です。いくらでもニッコニコで周回ができます。全員のレベルを上げることは控えた方がいいです。よそよそしい会話パターンはレベル5当たりを超えると出現しなくなります。(自調べ)レベル1桁だった頃のよそよそしい感じが恋しくなったら残しておいたレベル1の執事をみて微笑めばいいのです。会話のほとんどが言葉尻を変えているだけです。なんたってこのゲームは癒しをくれるゲームですから。

 

結果・学び

 

昨日、3時間ほど休みなくお供にしてました。疲れる。画面を見ず無心でタップし続け執事を交代させるだけなので頭を使いません。2時間ほどやってみたら何となく自分の直感的に好きな執事が見つかります。

「過去の好きになったキャラと似てる」

「人気って聞いたからこの人を気にいろう」

といった打算が出来ません。ルーティン。イレギュラーなど存在しない安心感。だんだん脳がとろけて無になります。これはまさに瞑想ではないでしょうか。何も考えず、嫌なことがあっても無視する。マインドフルネス。頭の回転が早くなるとか、睡眠の質が上がるだとか、昨今の現代でとても胡散臭い匂いをネットに撒き散らし蔓延ってるもの。個人だけの半端に偏った知識で意識高いものに手を出すより自分のレベルに合わせて「瞑想」のレベルを調整することが瞑想の成功になるのではないでしょうか。私は瞑想できた試しがありません。呼吸に集中しても脳が晴れたことはありませんでした。世界は相変わらず腐って見えました。ビジネス本と一緒です。文書を読んで、楽しくなった気になる麻薬。達成感。意識高いことをしている自分が馬鹿らしくなって自発的に啓発をすることをやめました。お寺の方に教えをこいたくなりました。そもそも始めから平均よりいい声をしている2次元キャラに瞑想のご指導されたら呼吸どころでは無いじゃないですか。目的に対するノイズです。「声綺麗だな」という雑念が埋めつくして呼吸なんてものより声聞くことに集中したくなるじゃないですか。倒錯です。私はここでの瞑想は無理でした。執事は優しいです。捏造妄想で恐縮ですが、仮に瞑想なんかしなくて雑念が胸を頭を埋めつくしても「こういう日もあります」とでも優しく介抱してくれることでしょう。瞑想は成功しない。8人ほどローテーションをしていました。不思議です。2人が私の気になる執事リストから除外されました。言語化は難しいです。ただ、やっているうちになんとなく「この人はタイプでは無いな」というモヤが増えて、確信に至ります。そう感じたままに気になる執事とだけお喋りし続けます。だんだん減っていきます。さあ、私は誰が気になるのかな。人間は思考を使って以前得た成功体験を元に行動する。10人の多種多様な生き物がいます。あなたは医者を求めています。あなたは白衣を着たメガネをかけている神経質そうな人を選ぼうとしました。飼い犬のポチはタコを選びました。あなたは「それは無い」と一蹴しようとしました。紆余曲折を経タコの墨を貰いました。タコの墨はあなたの偏見を晴らしてくれました。あなたの病気は治りました。人間は言語に頼りすぎてイメージする力、ありのままを認識する能力が衰退した。ときどき思考を放り投げるのがいい。バカは野性的だ。時に意趣卓越したものを出して世間を驚かせる。思考に囚われるな。頼るな。万能ではない。

 

可能性・知的

毎日片手が寂しくなったら手すさびにぽちぽちするのです。良いゲームです。ときどきちゃんと読みます。同じ会話パターンばかり出現するので、海外の方には日本語学習に適しているような。オードソックスな現代に通じる日常会話と敬語が学べます。パターンなので、何回かやっていると共通点を見出すことでしょう。執事によって口調が違うため、自分に合った表現を見つけられる事でしょう。難しい言葉はありません。日常会話に必要なレベルです。教科書のように無駄な単語を覚えさせようとも挑戦してきません。世間一般として備えていた方が良さそうな豆知識も披露してくれます。「睡眠時間は7時間が最適」「朝、水分補給をすると脱水症状予防になる」「不安は紙に書き出してみよう」など、無駄ではなさそうな知識です。何回も同じことを言ってきます。反復学習です。日本の理解に役立つのではないでしょうか。私は不勉強の身なので、いくつかこのゲームで言葉遣いを学びました。「不甲斐ない」とか。言葉数も少なく、片手間に出来ます。

 

振り返る・初心

私は今までは意味もなく「人気そうだから」という軽薄な理由で1人の執事だけのレベルを上げていました。1年ほど。アピールしやすいですからね。「単推し」と。他の執事に手を出すとつい私の「推し……?pushしなくて良くない…?そんなに思い入れ、無いし、2次元に触りたくないし、好きじゃ、だめなのかな?」という本心が暴れだしてしまいます。周りの人と会話を合わせられるだけの情報すら得づらくなります。そのため敬虔に映るようにゲームアプリを周りの人みたいに楽しんでいましたが、息苦しくなりました。人間誰しもエゴによる謹慎が必要ですが特に私は不謹慎なのです。息をする度に周りからの顰蹙を買いました。いっぱい顰蹙を買えるお金を持っているということです。そういうことにしましょう。元々絵が幻想的で気に入っていた。

知人に薦められてこのアプリを始めた。楽しかったのは最初の勝手を理解する1時間だけで充分、以下はツッコミどころ満載で没頭どころじゃなかった。失笑。メインストーリーは2時間くらい読んで進める手を辞めた。思慮に欠ける。ごめんなさいって言った後反省しないで言葉を変えて同じ過ちを繰り返す愚か者。「主様」としての権限が無いと自分自身の役目が果たせないから打算して主様に媚び売ろうという姿勢を隠そうともしない潔さ。屋敷に帰って貰わないと執事達は仕事もできないから。褒めたたえて、優しくして、肥させないと困っちゃうから。1歩引いて接し続けるのが得策。

 

不謹慎にもコントとしてはとても面白かった。

屋敷に帰ってきたら主様の部屋で呑気にワルツの練習「ワン、ツー♬.おや主様。ワルツの復習をしていました。私達は歌や踊りも披露することがありますからね」ごめん出来心で裸ベスト着用で遊んでた。

 

つい最近上半身裸で出歩いて執事A「ごめんなさい、見苦しい姿を……」次の日執事A「執事Bくん、上半身裸で出歩くのは良くないですよ。あっ主様…!失礼いたしました!」次の日執事A「主様…失礼いたしました!見苦しい姿を……」

 

武器ぶんっぶんっ「主様…!今武器の練習をしていました。こんな格好で済みません。今から着替えてきます」汗だくのまま執務服に着替えるのかい?見た目だけ取り繕われても困惑するんだが。シャワー浴びてきて……

 

「何かあったらいつでも私に相談してください。私は主様の味方ですから。(自由に文字を記入するコマンドは存在しない(自分調べ))」

 

イベントが始まる度七五三の衣装を披露する子供のように執事達が異口同音「見て見て主様!!服だよ!!似合うかな?じゃあ、着替えてくるね!!」七五三を見守る親かよ。

 

執事「この服どう?似合うかな?どんな服が似合うと思う?主様が選んで欲しいな。主様の好きな私でいたい」学生か?服にそんなこだわりがないからなんでもいいとおもうんだけど。昨日も一昨日も聞いてきたね。女子。

 

無邪気だなあ。立場上嫌な目にあってこうはならなさそうだと思うけど、純粋に育っているみたいだ。発声練習をしていたり、あくびしてたり、コントが不謹慎に面白いから、構わないけど。

驚愕。何時間でもタップできる類を見ない神ゲーでした。真の癒しだ。恥ずかしいにも1年前から始めていたのに関わらず。私は1人の執事だけを担当執事にしていました。指名制のように。バカバカしい。ローテーションすれば永遠にタップし続けられるじゃん。アハ体験。

 

3時間タップゲームプレイでロードレベルが20から21に上がった。6名ほどが執事レベル3になった。アプリ内でのイベントアイテム収集がカンストした。イベランに囚われなくなった。疲れた。なんで1人の執事だけに固執していたのだろう。世界は広いじゃないか。会話パターンに辟易していないから別のキャラが魅力的に映るぞ。隣の芝生は青い。

 

なぜ否定的か

なぜこの執事をここまで皮肉げな目で見ているかって?何年か前に読んだ小説の影響を受けたんだ。潜伏期間を経てついに発病したのだ。

 

やや天然の入った言動が魅力的な美少女が実は全て計算で裏で周りのことを嘲笑ってた衝撃どんでん返しミステリー小説。

before「ねこさん、とってもかわいいですね(意訳)」

 

After「ねこさん?www自分で言ってて笑っちゃいそうになっちゃったwwwあざとすぎたかなってつい不安になったよ。隠すの大変だったなー…可愛かったでしょう?天然の私。まさかこんっなに簡単に信じるなんて、笑っちゃいましたwwwあーあ、ばかみたい(意訳)」

私は感動した。だってその美少女ほんとにかわいいなーって思ってたらこの見事な肘鉄砲。よく執事達も「○○(動物)さん」「(天然行動)あっ……ごめんなさい!!!!こんな姿を…すみません……」「○○様……好きです。あっ、執事が垣根を越えて名前を呼ぶだなんて失礼しました。私、主様の名前が好きです」これら、かわいいなーとは思うけど、1回私は騙されたからな…この執事達の天然アホ言動達は、あの美少女を彷彿とさせる…こうして推量したほうが整合性がある。なんで経験を積んだ何代もの主様を迎えた悪魔執事が初心者みたいなヘマをし続けるんだ。この見方は穿ちすぎだ。承知している。傲慢不遜な楽しみ方だ。はい。楽しいです。この下手に伺ってくる子供のような執事達の会話をすっとばすのは楽しいです。経験値溜まるの、見ていて実績のようで楽しくって辞められません…小説は時間がかかる。読んだ直後はなんとも思わなくても、何年か後に「これは………!」と無意識で出来事が結びつくことがある。アハ体験。村上春樹著作の1Q84で川奈天吾が言っていた。「読書に即効性は無い。いつか言葉が自分を救ってくれるかもしれない、という淡い希望が僕を救う」みたいなことを。

 

フルコンボしたい音ゲーの曲がある。トリルの練習をしている感覚だった。机トントンより成果現れて嬉しい。

不謹慎だけど、ダイナミックコードという同名乙女ゲームをアニメ作品したものが気に入っている。ニコニコ動画で大人気だ。「作画崩壊」その作品に抱いた感情と同質であった。唐突さに共通点が見られる。このアプリのモーションは人形のようにぎこちない。服を脱がせば筋肉の付き方は皆同じ。そういう癒しだった。ナチュラル。天然物。童話的。

タップゲーム、3時間で私がくたばったことに失望した。3時間休みなく手を動かし続けることが今の私の限界だった。5時間ゲームのお供に安定したリズムでタップすることが可能になったら、攻略の可能性も広がるであろう。今現在、目押しでトリルを叩いている。それは経験の無さが自信のなさに繋がったということである。経験させて可能性を広げる。

 

おわり

あまり推奨される楽しみ方では無い。たが、今夢中になれることがこの不謹慎で不毛な楽しみ方をするを余儀なくされた。表面上ではこのアプリを正当に楽しんでいるユーザーだ。ここに文字として書いたらやめてしまうだろうか。ありありと私の知っていることが可視化され退屈を覚えるだろうか。面白かったから、頭の内で覚えておくには多い記憶だったから、書いておいた。良いタップゲーム。イベストも読んでいない。これで事足りるではないか。ツッコミどころ満載な部分はニコニコ動画のように共有するから不謹慎から目を背けられるんだ。これ以上ツッコミたくない。ファンにとっては憤慨ものだろう。

 

ふざけるんじゃねえ

これは幻想だよ。現実同様の充足を期待するのはお門違いだ。多々執事達には不器用な点が見受けられる。ヤマアラシのジレンマを回避したいがためにこのようなことをしているのではないことは分かっている。ただ、あまりにも日常会話が味のしない無味乾燥な喧嘩のできない都会的な冷たさそして優しさに包まれきっている。メインストーリーは知らない。冒頭しか読んでいない。ああ、虚無だ。当然だ、一方繋がりの関係。1体1では無い。ゲームだ。血の通った温もりは現実世界と向き合わないと得られない。引きこもりだってゲームがあるから1人でも淋しくないんだ。意外と、病んでないんだ。元気なんだ。ゲームが遊んでくれるから。意外と、交流関係も盛んなんだ。インターネットだって、都合が悪くなればボタン1つで終えられる。リアルに帰らなければならない時は一方的に別れを切り出して帰ってこられる。責任感の無いこと。相手は文句1つ言わない。遊び上手で、翻弄して、楽しませてくれる。この1対0.5の関係は1体1より、遥かに安心出来る。リアルでは別れを切り出されることが怖くて仕方がない。いつだって友人関係には終わりがつきものだ。親睦を深めようとすれば、傷つくのは必然。ずっと楽じゃないか。インターネットで存分に理想化した相手と会話を楽しむ。それ以上は求めては行けない。相手だってそうだ。私は1対1を求めてしまっていた。インターネットというものは、そのような重い関係を持ち込んでは、いけないのだ。「遊び」だ。所詮幻想だ。幻滅がセットでついてくる。想像できるものは必ずリアルでも作り出せる。それが滅亡という形で出力される。適切に想像することは難しい。「遊び」の為の幻想に、生々しい現実要素を持ち込んではならない。神聖なのだ。今の私にできることは、このゲームをタップゲームとして遊び、音楽ゲームフルコンボを目指すことだ。心に沁みる。現実を恐れるな。目を背けるな。充分背けてきただろう。求めていることははっきりわかっているだろう。さあ、現実で、傷つけ。ヤマアラシのジレンマで痛みを覚えて、生きようじゃないか。痛み無しで何ができると言うんだ。泣けばいいじゃないか。母は出産で激痛を伴い赤ちゃんは泣くじゃないか。自然の摂理じゃないか。なにを恐れる  

 

自分に向けてここまで書いたけどさ…ここまでは頭で分かったんだよ……ほんとに分かってるならいちいち書かないよ……行動してるよ……感性や鬱屈や絶望を長々と言語化したらこうなった。無駄に雄弁で困っちゃうよね

 

疲れる。自分の内面をできるだけ具体的に吐き出すこと。こんなもの見たくないんだ。その言葉は適切か?その主観は言語化に耐えうるシロモノなのか?嫌なもの見て何になる?「死にたい」とても便利な言葉だ。こんなこと書かずに一言で言い表せる。便利だ。濫用必須だ。いつしか言語化を辞め「死にたい」が胸を埋め尽くす。「死にたい」は「死にたい」じゃない。サボっているだけだ。死を愛そうじゃないか。身内が天に召された際、悲しかった。それと同じくらい、日常で話す「死にたい」には、痛みは伴うか?「死にたい」の可視化は、あれなんだよ。寂寞。痛いじゃないか。傷つくじゃないか。なんて軽いこと。私の死にたい。あんな無力感、毎日浴びてるわけじゃない。本物の死じゃない、やり直しは効く。そんなヤツに死はやってこない。死を愛していないからだ。なにを思って死にたい?書けよ。死にたくないだろう?毎日あんなの味わってたら、壊れちゃうだろう?お前は誰だ。なにをどうやったらお前は現実と向き合ってくれるんだ。答え分かるよね。「行動すれば」いいんだ。怖くて足がすくんで今の居心地良さに身を委ねるよね。いつか終わるよ。嫌でも、苦しくても、「死にたい」でも、時間が解決するよ。ああ、目前に。こんなの嫌だ。もうすぐタイムリミットだ。挙句として向き合わざる終えなくなった時、苦しみを減らせるように、「死にたい」言語化しておいた。未来が苦しくないことを祈っているよ。