読書メモ 挫折した 虚無への供物

前のブログで書いてた文章です。

 

自己のエゴの為の記事です、この本が好きな方にはとてもすすめられない幼稚な感想文です。どうか好きなら読まないでください。

 

3大奇書の中で1番読みやすいとの評判であった。そして、題名がかっこよかった。人類虚しいねって言ってるみたいで。ゴシック十字架小説みたいなものだと思っていた。衝撃的な展開。挑戦的、らしい。

とても読みづらかった。ずーっと近所の人間が雑談しているようで、目が滑る。雑駁。難解な単語もほとんど無い。ときどき誰の視点で書かれているのか分からなくなった。玄司の生い立ち説明文とか。わざわざ滑った文章を後ろ足に戻るには、今の私にとって、この本に魅力は無かった。つねに無理くりして本気以上の力を出し続けると、壊れる。どんな本にも魅力はある。感じることが出来ないのなら、読者側に問題がある。だから私の力不足ということだ。雑談だらけで、何がしたいのかよく分からなかった。マルチタスクは苦手だ。下巻の久緒が皓吉へ「黄色い部屋なんて素敵ね」と嫌味をぶつける。表札の取れた氷沼家で。この辺りで挫折した。文字を眺めるだけならラストまで読めたかもしれない。世の中での評価の高い小説なんだ。そんな敬意のない、まるで世の中を踏みつけにするような読み方をするには憚られた。つまり、こう無理やり読んだら私は驕るのだ。自身の能力不足を棚に上げ、「つまらない」と自分の感想をこの本を知らない者にマウントのように豪語するだろう。ああ醜い。辞めた。世間の評価が絶対ではないが、とても今の私の手には余る。

ネットで調べた限り、三島由紀夫が著者の中井英夫(塔晶夫)に家まで押しかけて「面白い!」と熱く語ったり、面白すぎて2日で貪るように読了した、三大奇書で1番分かりやすくて面白い、ラノベみたい、と期待したくなる内容が散見された。(自調べ)

タイトルはフランスの詩の引用だ。10年かけて構想されたらしい。「推理小説の墓碑」と称されている。著者は「虚無への供物を超える小説を書く」と意気込んでいたらしい。素晴らしいことだ。至る所に歴代ミステリー小説が散りばめられている。ミステリー愛好家なら必読の書だろう。「幻影城」「アッシャー家の崩壊」は読んだ。ガストン・ルルー黒死館殺人事件といった聞いたことある単語も出てきてワクワクした。

登場人物の心が掴めなかった。全員が怪しかった。亜利夫は平凡で、ゲイバーに通う非現実に惹かれる一般人。久緒はそこにある事実をこねて壮大にこねて話すのが好きな社交的な人。自分の目に自信がある。とても描写が少ない。何を思い、何を好きで、何に情熱を持っているか、私の読解力では感じ取れなかった。本を通して、私は、生きている人間を見ているのが何よりすきだ。格子越しにドッジボールしているみんなを見ているようだった。私は学校は好きじゃなかった。だから見ているのが好きだった。好きだけれど、燻るものはある。無意識にトラウマが刺激された。個人的経験による挫折だ。本は、格子越しでは見れない心情をさらけ出してくれるから好きだ。私はお門違いだった。

周りが止める中、蒼司が燈二郎に家を譲り売る際の「よろしいじゃないですか。欲深いのは、人間らしくて。お爺さんが残してくれたこの家を、どこぞの宗教なんかに売るよりずっと良い、おじさんにこの家の業を背負ってもらう。俺はこの家から解放されたい。1000万も1500万も、どうでもいい。安いものだ(意訳)」と啖呵をきったのは痛快で幸せな気分になった。ここは、生きているようだった。挫折しても、思い出に残せるものが見れて、良かった。玄司の陰惨な生い立ちも素敵であった。盗むのも、理屈では理解できる。

この本も図書館で借りてきたんだ。ドグラ・マグラは2週間で読み切れなかったから延長をお願いして1ヶ月で読み切った。そして明日が期限なんだ。今求めるものは、この本に無い。自身に諦めはついた。挫折して、返す。確かに私は挫折したんだ。この記事に刻んでおこう。仮に虚無への供物が好きな方が当記事をご覧になってお嫌な思いをさせてしまったのならごめんなさい。