午後

日記

読書メモ ショーペンハウエル 読書について


   私の記憶力はアテになりません。この本を読んで1週間が経ちました。なんだかしっくり来ました。いい感じです。大事にしましょう。

図書館で借りて返してきました。前々から気になっていた。2chでも名作と言われていたから。簡単哲学入門書とのことだから。  

おぼえていること

読書について〜ショーペンハウェル

   思索する人間は2種類。本で思索する者、本無くても思索出来る者。後者は天性の才能。後者にとって読書はまぎれもなく毒。その生き生きとしたバネは多読により壊される。思索は読書無くても出来る。真の思索とはペンも紙もいらない。常日頃盛んに読書する知識人。「読まざるために読んでいる」何たる皮肉だろうか。控えた方がいい。 

だが読書をした方がいい場合がある。思索が途絶えた時だ。読書は絶え間なく他者の思考が己を攻撃してくる。読書は他人に考えてもらうだけだ。書道でお手本をなぞっていると同じ。宿主が違う。別物の精神だ。異物だ。思想持つものには、かなりの苦痛を伴う。思索はおのれ一人で始められるものでは無い。外部からの刺激が必要である。素質があればおのずと刺激に踊り自然に豊かに思索するであろう。その時が来るまで読書をしていればいい。

 恐れなくていい、己が思索したものは己のもの。自分の考えた事が既に他の誰かに考えられていた、ということはよくあることだ。化石により思想が強化される。これは、整形して身につけたものではない。消火され血肉になる。びくともしない、強固な精神になる。

 他人から汲み取った思想を盲信するのはよくない。その本は化石の花だ。今を生きてはいない。過去を生きた、化石だ。優れた思想持つものにとって大事なのは、生命だ。目を育て、花を咲かせるのが役目だ。消化をしなければ、整形して身につけた鼻と同じだ。暴力に耐えられない。文章そのまま覚えきれないと嘆く必要は無い。

 著作するものは3種類居る。考えないで書く者。書きながら考える者。書く前に思索を終わらせているもの。書く前に思索を終わらせているものは非常に稀である。著作は、狩りに似ている。この稀なものは羊の群れを既に堅牢な網で捉えている。後は撃ち抜くのみ。確実である。書きながら考える者は狩猟に似ている。獲物を捉えられるかは運頼みだ。考えないで書く者は書籍哲学者である。優れた精神の著作者の意見を纏めることに励む。たいていは思想というフィルターを通していないためしっちゃかめっちゃかの著者の意図を曲解する悪書になるがまれに優れた纏めも出す。それはとても役に立つ。 世の中の大抵の者は書籍哲学者の書いた、過去の優れた書物を曲解したものを読もうとする。歪められている。直接古典むべきである。悪書は読まずに済ませるのが最善である。 流行り物は時間経過によって脆く崩れやがて醜い全貌が明らかになる。メッキが剥がれ落ちて、惨めな土壁が明らかになるようだ。まず世の中の正しいとされる常識に物を申す。それは流行る。その意見が長年かけた正しく常識を破壊するものであれば受け入れられる。奇特なだけのものであれば、しだいに人々は元の常識へと帰ってゆく。声を荒らげ今まで信じられていた常識に意義を申すものがあれば、歓迎するといい。偉大な魂かもしれない。 

書籍哲学者は、ソフィストだ。金を得るために思索をする。そのようなものが何百年への時代の洗礼に耐えうるだろうか。偉大なる書物は、無銭で書かれるものだ。書籍哲学者は書籍哲学者と組む。お互いを評価し協力し、どうにかして金を得ようとする。悪質な書物を手放しに評価することなど無かった?良質な書物を人に薦めずはおろか、排除に務めたであろう?頷ける書籍哲学者など居ないであろう。腐敗しきった文学世界。われらが一層するべきだ。 形態(作品)に興味や思索を巡らすものは少ない。素材(著者)に興味を持つものは多い。大量の著者に対する考察書物の郡を見たまえ。感動した劇の建築物の裏側を暴き立てているようなものだ。額縁に囚われ、絵自体へ興味を持たない、倒錯している。 素材に興味を持つことはいい。だが優れた著作者の人生を調べあげ叩く行為は最低の愚行である。悪質なジャーナリストだ。

   形態は、その著者が伝えたかったことが凝縮されている。著者の著作全て知らずとも、その形態を見るだけで本質が伝わる。人生の時間は有限だ。

    著作は、エキスである。著作が優れているからといって著者自身がそのとおり優れているとは限らない。良い著作は精神の良い部分を効率的に摂取できる。履き違えてはならない。 優れた思想を持つものは、文書に悩まされない。その場その場、ぴたりとした言葉を当てはめることができる。言葉に悩むものは、己の貧弱な思想に気づくべきだ。思想の増大を図るべきだ。

    後世に何かを残したいとすれば、周りの人達と足並みを揃えてはならない。偉大な作品を残したものは、生前はパッとしないことが多い。没後、その作品は人々へと受け継がれ、永遠の命を持つ。天才の作品はどこを取っても精神が研ぎ澄まされている。無駄な部分など何一つ無い。はじめからそこにあったように、洗練されている。天才とは、宇宙という書物を読みこなすものだ。
優れた作品を残したものは、運命だ。転生をしても、おなじように周りから理解されず作品創作に励むだろう。逃れられない。
形態が詩、芸術、物語と違うだけで支える基軸は揺るぎない思想だ。

   人とは圧倒的に異なる思想を手に入れたければ、人とは違う、特異な生活を営むといい。物事を見る角度が変わる。それだけのものにすぎない。

   凡庸な言葉で特別なことを言うことが良い。すっからかんの内面世界を覆い隠す為の絢爛豪華な語彙軍を弄すのは、みじめである。彼らが使うのはフラーズ・バナーズ。文章単位で思考を組み立てる。凡庸かつ無駄に華美な虚飾に終わる。

以上


この本の効果

思索という言葉自体は知っていた。思う、と思索、は意味合いが、深みが違う。思う、は泡のように直ぐに消える。泡沫。思索は、自分の考えを掘り下げる。深淵。思う、という行為だけでもこれだけ違う。日本語は丁重に扱わないと。そんな意味合いを教えてくれた。思索について触れられている部分は1部であったけれど。

たくさんの言葉を知るからこそ、基本的な単語の意味がわかるんだ。思うということもよく分からなかった。泡沫に消える児戯のようなものだと理解した。ほら、説明するのに「思う」以上に難しい言葉を使う。簡単な言葉と難しい言葉は繋がっている。

読んだ感想

   不躾不遜にも読んでいてこのショーペンハウウェルって方まるで友達みたいに元気に語りかけてきますね。鼻をフンフンしながら「である!なければ!」って喋ってくれて私はニッコリしました。イキイキと悪口を語ってくれる人は好きですよ。ほっぺが薔薇色になりますからね。どなたかの偉人がおっしゃっていました。「偉大な魂に経緯を払うもっとも簡単な方法は、自分がまるで友達家のように接する」ググッても出てきませんでした。気のせいかもしれません。悪口の言い方を教えてくれましたね。面白かったです。悪口も鍛えるとダークユーモアに光りますからね。

おまけ

    フェルミ概算しましょう。
1行30文字、17列×150ページ=76500。
私が思い出したもの、2400文字。31分の1です。クラスメイト30人居たら一人しか救えないってことです。私のキャパシティは儚いものですね。